古泉一樹の消失



7. 告 白 5



 着地に失敗したカエルのような姿勢から古泉は、俺が膝立ちで拳を掲げたまま睨みつけるのを、呆然と見上げた。言いたい事は色々あるだろうが、お前はとりあえず俺に謝れ。お前の話は後で全部聞いてやるが、それ以前に俺とお前の間の話はまだ済んでいないだろうが。自分が破った約束の事だけ気にしていて(破った、と言うところで古泉はあからさまに身を震わせた。馬鹿め)お前は俺の言った事を、覚えていないだろう。

「え? あの……それは……どう……」

 俺は。息を大きく吸って、ここは偉そうな態度で許される所だから、思い切り胸をはった。お前が長門にどんな頼みごとをして、どんな小細工をしていたのか判らんし、それは俺を守るためでもあったんだろうし、全部を拒む訳でもないが、その辺りは基本、俺の知らない話だ。

「……はい……」

 俺の、俺が言いたいのは一つだけだ。
 俺は待っていると言って、実際待っていた。記憶を丸ごといじられるのも嫌だった、筈だ。お前の思惑も、望みも知らん。同一なのが理想だがそんなのはお前の勝手で、俺の知ったことじゃない。俺は自分の気が済むまで、自分の意思で待つことにしていた。それを何だお前は。起きるはずが無いと最初から決める気か? お前と俺とで約束したと思ったのは俺の間違いか? まるでありえないことの様に言われるのは非常に腹立たしく、尚且つ、これ以上無い程いまいましい事だぞ。

「それは……っ」

 崩れた土下座の姿勢のまま、脳内で俺の言葉を反覆した古泉は、ようやく理解したのか、青ざめた顔で俺を見つめた。意味は判るな? 叱られた犬のようにしょげている大馬鹿者の顔を覗き込む。お前の夢想でしか約束が成立しないと思うなら、最初から、あの約束は果たされないと思ってたって事だよな。ひとを馬鹿にするのも大概にしろ。俺はお前を庇ったひとを知らん。そのひとの話を聞いて気の毒だとも思う。でも、もしお前がアジトに連れて行かれて、そこで撃たれてどうにかなったら、どんなに気の毒でも俺はそのひとを恨んでしまうと思う。きっと一生。お前じゃなくて良かった、って俺は思っちまった。古泉、お前は俺を軽蔑するか……?

「そんな事ありません……っ」

 それにな、森さんやら新川さんたちが、お前に聞きもせずに勝手にそんなもんを使うとも思えないし、事前の誘導がないとアムリタを使っても駄目なら、お前だって突然の負傷で意識不明だとしたら、そんな余裕無かったんじゃないか。それともどこかで長門に誘導してもらったのか。思い出してみろよ、誘導された記憶自体を消されていたら判らないかもしれないが、やるならもっと上手い事処理してくれてる筈だろう。お前がこんなに不安定になるのはおかしいじゃないか。俺は何だ。不安定になったお前をなだめる為に再会した登場人物Aか。勝手に役割をふられても困るんだがな。それに、その場合何処からが現実で、どっから夢に入り込んだって言うんだ。

 お前が酷い? あの灰色の空の下、連れられて行った先で赤い光になったお前は、確かに世界を守っていた。世界を好きだとも言っていたじゃないか。その世界にはお前自身だって含まれているんだ。お前がお前の事を哀れんだら世界は消えてなくなるのか。他の誰かを救いきれなかったら、それで全部終わるのか。お前がお前自身を酷いと言うなら、一体誰なら酷くないんだ古泉。答えられるか、言っておくが俺は酷いぞ。他人はどうでもいいひとでなしだからな。今この時点で俺が気にしてるのはひとりだけなんだから。

「それは……」

 何か言いかけるのを遮って、乱暴に言葉をつなぐ。大体お前が意識不明だ何だ言ったら、いや……事が落ち着いていなかったら連絡も貰えないかも知れないが……、何か、なあ、教えてくれるんじゃないか? それくらいは期待したいんだが、駄目か?

「森さんや……新川さんたちから……ですか? 連絡」

 そうだよ、そうしてそんな事を知らされたら、あらゆる手を使ってお前を引き戻しに行く。アムリタなんか使わなくてもさ、ハルヒをあおるとか、長門に出来る限りすがってみるとか、もし可能なら朝比奈さんにも。

「それは……」

 せいぜい全力であがいてみるさ。それに、もしも、本当に駄目だったら。どうやっても引き戻せなくて、八方塞がりだったその時は。息を吸って大きく吐く。そうして真正面から古泉を覗き込む。揺れる瞳の中にニヤリと笑う俺が見えた。
 俺もアムリタ飲んで、同じ夢の中に追っかけてってやるよ。

 古泉が目を見張る。

「駄目です……!! そんな馬鹿な事! そんな風に人生を捨ててどうするんですか?! 第一、涼宮さんはどうするんです……っつ!」

 それはお前には言われたくない。むかっ腹を立てて至近距離から頭突きを喰らわすと、多分お互い同等にデコが痛かった。額を押さえながら軽くうめけば、目の前のイケメンも唐突過ぎて涙目だ。その目を逸らそうとするのをあごを掴んで引き戻して、腹立ち紛れに睨め付ける。それをお前が言うなよ、お前が消えたあと、どんだけハルヒが凹んでいたのか、聞いたら凄いぞ……? 揶揄するように言うと、言葉につまって、古泉はもごもごと誤魔化すように口を閉じた。戻ってきたのならハルヒとも、お前、会うよな? 会うつもりだよな? 息を呑んだのはハルヒの名前を聞いたからなのか、古泉の瞳に浮かんだ不安に、動揺に、つられて鼓動が早くなる。それは恐怖なのか、拒む気持ちの表れか。違うだろ、古泉。ハルヒに会いたくない訳じゃないよな、消えた言い訳はどうするつもりだ? 尋ねる声が震える。なあ?

 おまえ馬鹿な事、って言うなら、もし万が一、次にそういう事になったら、何が何でも戻って来いよ。お前がちゃんと戻ってくるなら、俺は心配……はするけど、慌てて追っかけたりせずに、いつまで、だって、待っててやる……から。だから。揺れた瞳は、今度こそきちんと焦点を合わせて、射抜くような眼差しで古泉は俺を見た。目の奥に生まれた熱い塊が壊れそうで、必死に湛える俺は上手く笑えない。

 ……今度こそ、どんなに辛くてもちゃんと合図しろ。絶対だ。

 軽く投げようとして失敗した言葉が、か細く震えて耳に篭る。突然、痛い位に手首を掴まれて、古泉の顔から指が外れた。指先に触れた唇から熱が灯され、瞳から感情が決壊する。頬を拭う長い指に、くぐもった泣き声をあげて俺は顔を押し付けた。勝手に思い込んで全部幻にして、こいつはどれだけ自分を苦しめたんだ。

 抱き合い喰らい合うように噛み付いて、世界の果てとの誓いを刻む事を許された、互いの腕の楽園で、抱き合いながら俺たちは泣いた。


         7  Fin  

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20090524 改定

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