吟遊詩人かく語りき



2.吟遊詩人さらに語りき

「……さん」

 潜めた声がもうろうとした頭に届いて、俺はぼんやりと目を開けた。寝ていたのか倒れていたのか、床の上に横たわったままの姿勢で上体を起せば、ひじで支え切れずに崩れ落ちる。

「……さん!?」

 倒れた音と、微かにもらした苦痛の声が、扉の向こうから(そう扉だ、声は頑丈な木の扉の向こう側から聞こえている)こちらをうかがう誰かを慌てさせた。ああ大丈夫、とあまり大丈夫で無さそうな声で返事をしてから、眩暈を感じる頭に負担をかけないように、もう一度、慎重に身を起こす。片方だけに冷たい圧迫を感じ、足首を見ると、左の足首にだけ枷をはめられていた。その枷から伸びる黒光りする鎖を目で追ううちにようやく意識が覚醒したようだ。

 いや、まて、これは何事だ。眠る前に何かあったのか、まさか敵襲か?と座り込んだまま辺りを見回す。石壁の小部屋は四方が二メートル程で、正面の壁は扉だけで半分が埋まり、背を向けた壁は高くに明かり取りの小窓があるだけで、他に何もない。体の下に少しの藁が散らばっているが、ここがきっと簡易の寝床なのだろう。この状況から友好性を感じ取ろうとしても無理な話だ。身に着けているものも鎧や、普段着ている衣類でもないし……見覚えは無いが着替えさせられたわけでも無いだろうな……?額に手をあてて、さらに眩暈を感じ始める頭をなだめて記憶を辿る。

「……さん、大丈夫ですか?返事してください」

 ああ、スマン、状況が妙すぎて一瞬パニックを起していた。

「貴方は体調は大丈夫ですか?何かトラブルは」

 妙に頭がくらくらする位でまあ平気だ、何だ……殴られたとか何かなのかな?あとは足が鎖で繋がれている。

「……」

 ところでそっちは大丈夫なのか古泉。と、ようやくひととおりの状況を把握して俺は扉の向こうに声をかけた。とりあえずお前まで捕まってるという訳ではなさそうだな。今は何時で此処は何処だ?何があった?今はRPG世界中でそれは変わらないよな……?

「いかにもここは件のRPG世界の続きです……というか少し前です」

 くさり、と呟いて一瞬黙り込んだ古泉だが、鎖がどうした、と聞く前に直ぐに何時もの口調で返してきた。

「前と言うのは、正確には今は涼宮さんの夢の中で、過去の出来事を回想中……と言った所でしょうか」

 僕の歌を聞いて、そういえばあの時どうだったんだっけ?と考えた事が原因でしょう。……なにしろ、と少しだけ声をひそめて古泉は、

「……過去の詳細と言うのはそもそも存在していませんし」

 その、僕があの物語を強化してしまったせいで、涼宮さんがふと気にされたようで。古泉のへらへらとした口調に眩暈を通り越して頭痛が酷くなる。と言うかこれ殴られたか何かしたろう絶対。すると何か、俺たちは、抜けてるパズルのピースをきちんと埋めるべく、過去に戻されてると言う訳か?

「理解が早くて助かります」

 そりゃ伊達にお前の長口上を、延々聞き続けてきた訳じゃないからな。言いたいことの見当くらいつくさ。……いや、お前はそこで何でまた黙るんだ。それで?

「今はRPG世界の『現在』より二年前になります。僕らは姫君の脱出を手伝い、尚且つ僕たち自身をも脱出させねばなりません……もっとも姫君のパートはもう殆ど終了していますが」

 どういう事だ?侍女……は兎も角、吟遊詩人が手伝わないと、あの歌の通りにはならないだろう?

「いえ、その辺は勿論そうです。ですがもう手伝い終わっているのです」

 何だそれは。

「涼宮さんの無意識が介入した為、大幅に設定が改編されました。姫君はただの姫君にあらず、この国の王家とは血のつながりが無いモノなのです」

 意味がわからん。

「姫君は占星術で決められます。国の何処かに何時か生まれた子供、が姫君です。生贄にされたり命を奪われたりすることはありませんが、占星術によって一生を決められ、他の国に嫁ぎ、あるいは幽閉されて過ごします」

 何なんだそれ……そんなのを望んだのかハルヒのやつ。

「いえ、むしろ逆でしょうね。思い切りぶっ飛ばせる設定を選んだだけで」

 むちゃくちゃだ。今更だが。

「吟遊詩人は、たった一人でも決して自由を諦めない!と宣言する姫君に畏敬の念を抱き、そうして、姫との友情の為に自ら盾になって姫君を逃がした、城の下働き、歌では侍女のポジションになりますが貴方の事ですね、貴方を救いたいと思って協力を申し出た」

 ああ成る程、姫を逃がして代わりに捕まって罰を受けています……と言うなら流れ的に納得できるな。ちらりと鎖に目をやる。ならとりあえずはとっとと脱出して合流すりゃいいんだな。

「ええ、では現状をご理解頂けたので、これより脱出にかかります。出来るだけ扉から離れて下さい」

 フラフラしながら立ち上がり俺は壁にへばりつく。サク、とかシュとかでも言うような音を立てて扉の錠が壊された。……いや切り取られた?扉の一部に四角く穴が空いている。覗き込んだ古泉のいつも以上の笑みが見えた。目元だけだがな。あっさりと開いた扉の向こうから現れた、こちらはいつもと同じ吟遊詩人姿の古泉と、古泉が手にもつナイフのようなものをしげしげと眺める。どういう仕組みなんだそれ?

「まあ、RPGにありがちな裏技です……と言いますか、長門さんが持たせてくれたのです」

 長門か。朝比奈さんも一緒に居るのか?

「いえ、この時点ではお二人とはまだ合流していません。これは『現在』の時点で長門さんが僕に、過去に飛ばされる可能性について警告してくださったときに、一緒に渡してくれたものです。持って眠れば一緒に持ってゆける、役に立つだろうからと」

 何なんだ?特殊なナイフなのか。

「オリハルコンだそうですよ」

 さすが長門だとでも言うべきか、由緒正しき裏技具合だ。古泉がひらひらと振ってみせるそれはゲーム内での使われ具合は何でもありのジョーカーに近い。

「この世界では多分、疑った瞬間に効力は失せると思います。」 

 長門がくれたんだ。無条件で信じるさ。
 枷と鎖に眉をひそめた古泉は、マントを翻して俺の足元にしゃがみ、ケーキでも切るかのようにさっくりと鉄の鎖を断ち切った。使い方次第では城ごとでも粉砕できるのではないだろうか。威力の凄さにどう反応すればいいのか正直判らなかったが、とりあえずは礼を言う。スマン。助かった。
 
「いえ……遅くなりまして申し訳ありません」

 別に俺は寝てた……気絶してただけなんだけどな。

「涼宮さんを逃がした後、殴られて引きずってゆかれる貴方を見て、心臓が止まりそうになりました。無事でよかったです……本当に、よかった」

 悲痛な顔で謝罪する古泉の、よく見ると手が小刻みに震えていた。
 心配は要らないだろう?あの『現在』に繋がる『過去』なら、俺たちはちゃんと脱出して、皆で冒険をしているんだからさ。

「涼宮さんの脱出にも不覚にも動揺しました。僕は……目の前で涼宮さんは、追っ手に掴まれた長い髪を自ら切り捨てたんです」

 聞いた瞬間に脳裏に映像が浮かぶ。ああ、そうだな、髪を掴まれて引き倒されそうになったハルヒを助けようと、俺は衛兵に体当たりした。衛兵がひるんだ瞬間に、何とか転ばずに踏みとどまったハルヒが、衛兵の剣を奪い取って自ら髪を切る。俺と衛兵がもつれて転がったのを、はっとしたように見るハルヒに叫ぶ。走れ!絶対に逃げ切れ!戻ってくるな!と。何か言いかけたハルヒは歯を食いしばり、そのまま走り去る。それでいい。それでいいんだ、何処までも逃げろよ絶対に捕まらずに……。見送る意識が頭に感じた衝撃でそれきり途絶えた。

「貴方はどんな世界に居てもそうやって優しい。誰かのために自分を投げ出す」

 だから僕は。言いかけて古泉は片手で顔を覆った。いや、俺は……。俺は俺で喉の奥につかえたような言葉がなかなか出てこない。俯く古泉にそっと触れようとした手を、強く握られて、心臓が跳ねた。あとでお話したいことがあります、どうしても聞いて欲しいのです。……どうか。古泉は俺の指先にそっとくちづける。どうか。

 頭が沸騰しそうになる。くそ、わ、わかった。わかった聞くから、今は脱出が先だろう?!うろたえて振り払った手を、後ろに隠して、真っ赤になって目をそらす俺を見て、ようやく嬉しそうに古泉は笑った。


 このあとこれだけですから!などと、粘膜の接触を仕掛けてくれやがったせいで、腰の砕けた俺を(キス位で腰をぬかすなって……?あんなタイミングであんなねちこいのを仕掛けてきた古泉が全部悪いんだ)満面の笑みで姫抱っこして歩き始めたこいつに、同情なんか、まったく、するんじゃなかった。『現在』に戻ったらしばらくシカトだ、などと、むくれていた俺は、脱出後にさらに居た堪れないイベントが待っている事など知る由も無かった。




    [かく] [さらに] [すべて] [姫君も] [いまを] Fin

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20090608 改定

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