御伽噺にはほど遠い
午後に向けて気温を上げる太陽が、窓から容赦なく照らしつけてくるのは時間の問題だった。冷房を嫌う友人の部屋での作業効率は益々落ちるし、頑張ってくれてはいるが扇風機の風だけでは、自分の方が先に音を上げるだろう。午前中に終らせよう! と言う美しい理想は叶う事なく、課題は虚しくテーブルに広げられたままだ。今日の完了は見込めないだろうと村田はテーブルから目をあげた。向かいの友人はテキストの上に頬杖をついたまま目を閉じて何度目とも知れない溜息をついている。
「一応聞くけど渋谷、今日は終わり?」
己が駆り出された理由が課題の撲滅の為だったからであって質問は決して嫌味でない。それでも慌てて目を開けた有利は、手付かずの課題にくぐもったうめきをあげてから、上目遣いに友人を伺った。
「キミがそんな状態なら仕方ないよ。で、何が勉強の邪魔をしてるのかな? 試合の結果とかじゃなさそうだけど」
「はい……数学で泣きついたのに……――違う話でスミマセン」
「で?」
「あー、うん」
途方に暮れたような顔で一瞬、有利は口ごもったが、それでも聞いてくれるらしい友人に神妙な面持ちで背筋を伸ばした。
「そもそもは――ええと何と言うのかな」
困ったような、しかし同時に誇らしげな微かな笑みを浮べて、
「夢を、見たんだ」
こんな夢は一体何度目かなとぼんやりと頭の隅で考える。ヘリコプターはパイロットが不在で、今にも墜落しそうになっていた。パイロットがどうやら敵だったんだな。絶体絶命の危機。パラシュートで脱出すればいいんじゃないかって? 俺だけしか乗っていないし操縦法も判らないけれど、無人の機体がそのまま街中に墜落でもしたなら大惨事だろ? パニックを起しながら頭の隅でそんな事を考えて逃げ出せない俺。あとは、橋の欄干の下で大ピンチとか。辛うじて掴んでいる指が、今にも外れそうで、ぶらさがった体が落ちそうな状態なんだけれど、前後の説明はやっぱり全く無い。幼稚園バスの襲撃もあったな――特撮で見るような。あれって今はないのかな?……何故か俺は子供達に混じって幼稚園の送迎バスに乗っていて、黒づくめの下っ端に襲われている――。現実感の無い危機に毎回立ち会わされているんだ。しかもその先がどうなるのかが、絶体絶命の割には何処か他人事みたいな視点で見てるせいもあるのだけれど、さらわれるのか、人質になるのか、それとも改造されたりするのかが、さっぱりぽんだ。ともあれ危機パートと判り易い緊迫したBGMに煽られながら今まさに危ない! と言う瞬間に、マントをひるがえしたヒーローがババーンと現れて、操縦桿を掴んで無事着陸する、落ちそうな腕を掴んで引っぱりあげてくれる、あざやかに敵を倒して優雅に微笑む――
「そんでその後に、何故か何時もカツ丼を食わせてくれようとするんだけど、その丼ってその恩人ヒーローの頭に乗ってるんだよね」
「いや、ちょっと待って渋谷。意味が分からない」
途中までおとなしく聞いていたが、いくらなんでも最後のくだりにはツッコミを入れずには要られない。頭に丼ってどんな芸人だ。脱力しながら遮るように手を伸ばす村田に、腕組みをした友人は自分こそ、とでも言わんばかりに口を尖らせる。
「俺にもわかんないよ」
意味不明であることはたいそうわかったのだが。――カツ丼は。
「いや、だからね、細かい他の状況とか……とにかく、もっと説明してよ君のヒーローの。格好とか色々……」
そもそも誰なの君のヒーローは。
「青いマスクしてー―-青いマントをつけていてー――頭に丼が乗っている」
日本人がいくら異形のヒーローに慣れているからって流石にそれはない。
「顔に丼のかぶり物って言うのではなくて? と言うか、ほら、元ネタの皆さんみたく丼に顔が着いているんじゃないの?」
子供に大人気で、食べ物の名前がついた国民的ヒーローの異形の皆さん風に。居るよね? そこにも同じ名前の丼物の主が。
「頭の上に! ぴたっと乗ってます!」
アイデア商品で売れそうだよね「丼ずれません」みたいに。頭に乗せるヤツは居ないだろうけれど。
「あーメイドさんのヘッドニップの辺りにあるならそうだね……『メイ丼マン』とでも呼ぼうか」
「俺の恩人にやめてくれよ!!」
「恩人なんだ……」
恩人でも変態じゃないのそれ、と言う呟きを飲み込んで、村田は今日、途中まで迎えに来た友人と合流したコンビニで、棚に並んだ弁当を見ながらつぶやいた有利の言葉を思い出した。
「もし、もしもさ、カツ丼王国の王様がおふれを出すならやっぱり『一番おいしいカツ丼を作ってきたものと結婚します!』ー―に、なるのかな」
この暑いのに二重に熱そうな話題だねぇ、と返しつつ、どこか思いつめたような気配が一瞬見えた君の、渋谷有利の為に在る事だけに意味を見出す『大賢者』としての僕の知識を役立てるのは、今回は随分と難しそうだね。
――……いや、むしろ。
村田は、グラスの麦茶に目を向ける友人に、飲み込んだ言葉を内心でつぶやいた。むしろそれは簡単な話なのか。そうなのか。判らないままでとまどうより明確な形にすることを君が――望むのならば。
「――あと、顔は」
有利は少し声を落として視線をそらした。
「……ちょっとコンラッドに似てるかも」
「『ちょっと』だけ、何だ」
「や、その……覆面してるからさあ……あと逆光で、顔はいつもよく見えなくて。ただ」
もごもごと決まり悪そうに、言い訳がましく、
「目が似てる気がしたんだ。星が見えた」
たぶん君の想像通りマスクの下は君の良く知る護衛と似た顔をしているのだろう。よく見えない相手を見極めて断言する、君の目にこそ今、星が輝いているように見える。
シンデレラを見極めるのならガラスの靴があればいい。ぴったり会う足の主こそが他でもない王子の探し求めるそのひとであることを、その身を持って証明してくれるのだから。けれど届けられるのがカツ丼で、あまつさえ本人が持参する、と言うのでは、御伽噺足り得るのかさえ判らない、単なるデリバリーの人じゃないか。出前ついでに人助けもしてくれる通りすがりのお人良し――いや人助けはついでで、むしろ君にカツ丼を届けに来たんじゃないのかな? 青いマントは制服でさ。似ているという彼が何時も君だけの為に動いてるように。君だけの為のデリバリースタッフ。
微妙な笑みを浮べる友人に、有利は気まずそうに身じろいだ。
「あーでもカツ丼カツ丼言ってたら、何だかお腹がすいてきちゃったなあ……夕飯までのつなぎを美子さんに何か頼んでこようか?」
「その腹減りのちびっこを見るような生暖かい目つきは止めろ村田! あとここは俺んちですから!」
「そもそも何で結婚、という話が出るのかわからない」
「んー俺もそんな事言うつもりはなかったんだけどな……」
すっかりと午後の陽射しに侵食された部屋で、飲み物のグラスはびっしりと汗をかいていた。物思いにふける有利は、汗を滲ませながらバテ気味に頬杖をつく友人の様子にも気付かない。とうの昔に氷も解け切った麦茶のグラスを揺らして、揺れる水面に目をやりながら有利は頷いた。
「王様の出てくる昔話ってさ、ほら、そういうのよくありそうじゃん。何かを捧げられるとか、献上するとか。何とかをクリアしたものと結婚します! とか」
――だから君も理由が欲しい?
「君だって『魔王』じゃないか」
「まあ規格外ではあるが確かに魔王です」
「ふーん、君、フォンビーレフェルト卿以外の婚約者が欲しくなっちゃった?」
「そんな訳ねーだろ!」
「あーじゃあ婚約者は彼でいい訳だ」
途端に困った顔をする。何もいじめたい訳じゃないんだけれど。むしろここでケリがつくなら、つけてしまった方がいいと僕は思うんだけれどね?
「……話を戻すけどさ、お届けされるのはいつもカツ丼?」
長い指がふたを取れば、中からは湯気と共に卵でとじたカツが現れる。その下には勿論熱々のご飯で、匂いと熱気が食欲をそそる……有利は頷いた。
「――ーいつもだな。カツ丼ばっかり。何と言うか誰かがわざわざそれを捧げてくれるならば、魔王、って言うかそういう国の王様なんじゃないのかなって思ったから」
君が仮に――カツ丼王国の王様なら、それをヒーローにささげられるような事もあるのかもしれない。受け取る理由も守られる理由もある、それで全ての説明がつくって?
「――……君、ただ単にお腹が空いてたんじゃないの?」
溜息が応えた。
「それは俺も思ったんだけど、夕飯がトンカツだった時も見たんだよなー。腹減ってるだけじゃこんなに何度も見る筈が無いし、第一、食いたいだけなら食ってると思うんだよな……夢の中で」
「――それ食べてないの? まあ確かに何か気色悪いけどねぇ……」
「気色悪い言うな。――……旨そうだと思うんだけど、毎回食べる前に目が覚める」
――それは。
「毒でも入ってるのを警戒してるんじゃないだろうね? 今度は食べてみたら? それか毒見を頼んだらいいんじゃない。本人に」
良く似た顔の君の護衛が、普段しているのと同じように、よく似た顔のヒーローも、君の為に毒見をと請えば、彼はきっと断らない。
途方に暮れたように、わからない、と渋谷は呟く。
「……膝をついて丼をこっちに傾けてくれるから、顔、見えないんだ――俺、コンラッドなら判るんだけど……同じ顔してて、でも違うあのひとが何を考えて、どんな表情してるのか、俺にはわからない」
何で、と口の中に問いを飲み込んで、迷子の様な顔で僕を見る。
「俺は――……どうしたいんだろう」
さあ、よく考えて、渋谷。
「鉢かづき姫と言うフォークロアがある」
急に語りだした友人に有利は目を瞬かせた。
「頭に外れない鉢をかぶせられた姫君の流離譚なんだけれど、姫が鉢をかぶせられたのはそもそも生母になんだよね、その意図はいまいち判らない。先に緊急避難の意味でかぶせておいたのか、あえて欠けた状況に先におくことで掛け替えのない誰かを得られるようにしたのか、生母を失った後、父の後妻に、追い出され、さまよう姫が、とある屋敷の下働きに拾われて、その家の息子に見初められて幸せを得る。」
さまよう、の部分に反応して、有利はびくりと身を震わせる。それにちらりと目を向けつつ、村田は何も気付かない振りをした。
「鉢かづきなど嫁として認められない、と渋る家族のどぎもを抜くように、落ちた鉢の中から財宝が現れ、鉢を脱ぎ捨てた姫は美しかった。誰にも文句がつけようがなくなった姫と息子は結婚して幸せになった。そののち、落ちぶれさまよう姫の実の父を保護してハッピーエンドになる。――そう言えば後妻で継母はどうなったんだろうね、まあそのへんはどうでもいいけど」
「どうでもいいのかよ」
「いやちょっと思い出しただけで、キミの深層意識に鉢かづき姫のフォークロアが入っていたとは思えないから――たぶん」
「たぶん?」
「うん、たぶん全部タダの気のせいだよ、渋谷」
「何だよそれ!」
「言いたいことを夢の中でいくら言っていても伝わらないってこと。混乱したあげくに訳の分からない特撮物にしたてあげても何も変わらないよ」
「……っ」
ひゅっと息をのむ音がする。
「おなかがすいた誰かに顔やら中身やらを食わせてやって、それで自分が弱るヒーローなんて、頂けないと僕は思うんだけどね?」
「…村田……」
「だってこっちの現実にもあっちにも、すぐに替えの顔を作ってくれる強力なサポーターなんて居やしないんだ。まったく居ない訳じゃないんだけれど、替えの腕をつけてくれそうな奴は酷い交換条件を寄越しかねないし、そんなひとりよがりで悲劇のヒーローになられちゃかなわないよ。幸福の王子なんて僕、嫌いなんだよね。ああ、あの童話、渋谷は聞いたことないかな? 銅像の王子様が自分を慕うツバメに自分の金メッキを剥がさせて、貧しい誰かに次々くれてやるんだ。延々メッキを剥がされ続けて、最後にはげちょろになったあげくに、銅像は捨てられて溶かされる。おめでたすぎて、僕的にはまったくもって頂けないね。そんな風に勝手に力尽きられても困るだけだし」
そのまま大げさに肩をすくめて。
「彼に何かあったら君が泣くし。それが僕は何より嫌だ」
にこやかに笑って、ひざまづく彼によく似た顔。丼の蓋を取って、中身がこぼれない絶妙の角度に頭を垂れる。あれを食べたら彼はどうなるんだろう。元ネタの皆さんのように、急に弱ってしまったとしてもきっとそんなそぶりは見せもしないで笑っている――『彼』が彼であるならば。頭を垂れる『彼』の顔は見えない。何を思ってそうしてくれるのか俺には判らない。彼がそうする事で俺がどんな風に思うのか、彼の方からも判らないのだろう。判らないからきっとそんな事ばかり言うんだろう。判ったとしてもそれでも俺に何かをすることを優先して、俺がどうか止めてくれと頼んだとしても、自分を投げ出すような事をしてしまうのだろう。こみ上げてきた怒りと、ないまぜになった悲しみで眩暈がして思わず目を閉じる。――目を閉じれば何も見えない。『彼』も彼も何もかも。
腕でも肩でも差し上げる。そんな言葉を思い出すと未だに急に泣きそうになる。どう言えばきちんと彼に伝わるのだろうか、そんなものは要らないのだと。バラバラになったパーツは要らない。全部持ったままのの無事な、あんたにそのままそばに居てほしい。これまでと同じようにこれからもずっと。
ぶるりと身を震わせる有利は、初めてはっきりとした視線を友人に向けた
「……村田、俺は」
「うん、行こうか?」
そこ。にっこりと笑って有利の手元を指し示す。持ったままだったグラスの麦茶の水面が渦を巻き、光が溢れて。
あんたのカツ丼は食べたくないんだ! と、眞魔国に帰還するなり仁王立ちでまくし立てた渋谷に、迎えに駆けつけたウェラー卿は酷く悲しそうな顔をした。彼は単に渋谷から自分に対する拒絶だけを理解して凹んだんだろうと僕は思う。果たして彼はカツ丼を知っているのだろうか? しかし食べたくないってのはどんな否定だ。よっぽど不味いのか何なのか。
失敗しかけた告白劇に呆れて、横から合いの手を入れてみれば、頭に血が昇っていた友人は、我に帰って押し黙り、一転、真っ赤な顔で弁明を始めた。必死な面持ちの主の言葉を理解して、専属の護衛は目を瞠り、花開くように、蕩けるように微笑んだ。色んな意味で居た堪れないような表情で……。正直僕はこのピンクのオーラが立ち込める空間から一足先にお暇したかったけれどね。
「〜〜〜あーつまりは一緒に居てって事! ずっと! 一生!」
「はい、陛下」
「陛下って呼ぶな!!」
「はい! ……――ユーリ」
ウェラー卿はたぶん話の内容を半分も理解していなかったけれど、要求というか希望と言うか、結論に関しては100%理解してそれに全力で応えた。たぶんそれでただのハッピーエンドだ。
カツ丼の丼が落ちて呪いがとけた元王子様と兼業魔王な野球小僧と、彼らの縁を取り持つのが、都市伝説における自白を促す最強アイテム『カツ丼』だなんて、オンラインでもオフラインでもきっとそんなのは、誰にも語られたことのない秘密の話だと僕は思うよ。
ところで僕は濡れていて気持ち悪いから、噴水から出て早く着替えて一息つきたいんだけれど? そこのおふたりさん、ねえ、聞いてくれる??
了
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カツ丼マン
遠野さんに捧ぐ☆.:+*ヽ(*´∀`)ノ ゜:。+゜。o○☆
思ったより不発でなんと言いますか…
ギャグパートだけ書きますと言ったワリになんだろうこの仕上がりはwww
(20100812)