海の七月

 フィールドオブドリーム

相変わらずここは空っぽだった。地平の彼方まで平坦な、無音の砂漠に立ちながらコンラートは辺りを見回した。ここに『来る』のも久しぶりだ。何も無いここは夢の、砂漠だ。



 昔は呆れるほど頻繁に見た風景だ。見るたびに、自分の内が乾き、ひび割れて行く気がした。王宮で孤立した時も、握り締めてくれた唯一の手を失ったときも、周囲の悪意に晒された兵学校時代も、築き上げた何かが崩れ落ち、あるいは砂に埋もれて行くのを、ただ黙って見ていた。どのみちそれ以外何も出来ないだろうと諦めていたからかもしれないし、何もなければこれ以上壊れないだろうと、捨て鉢になっていたからかもしれない。あの頃何を思って生きていたのかは実はよく覚えていなかった。戦禍の中で何度か拾った、いや拾われて今に至る、幾度目かの生まれ変りとでも言うべき今の己を生を思えば、あの頃の悪意の騒音など取るに足らない古い傷でしかない。そう言い切るのも、どこか痛ましげに、混血の王子を気遣ってくれた、僅かにだが確かにそこに居た優しい者達には済まない気もするが、薄ぼんやりと浮かんでくるソレは柔らかな内側に、微かな痛みしかもたらさない、遠すぎる記憶だ。

『――貴方が賜る報奨や、形あるものは、奪われ壊されるかもしれません。けれど貴方自身が身に付けた力は何があっても誰であっても、貴方から決して奪う事は出来ません――』

 師言う『奪うことの出来ないモノ』は、ここには反映されない。力は目に見えるものではないのだから当然だ。だが心の内で何も変らないことに失望した。砂漠も現実も。師のせいではないことは知っていたのに。だがそれ以前にその時はまだ、師が必死に紡いでくれた言葉にすら意味を見出さなかったのだと思う。痛みに目を塞いでいた自分は愚かな子供だった。

 出合ったスザナ・ジュリアは雨だった。恵みの雨は万物に平等に雨をもたらす。いがみ合う者達が地上に引いた境界など気にも留めずに、降り注ぐ豊穣の雨。

 そこはもう何も育たない不毛の荒れ野です。雨など降るだけ無駄だ。夢の砂漠の話を語るでもなく語った時、ふと、ついて出た言葉を捕らえて、おかしそうに彼女は笑った。

「でも水が撒かれていれば少なくとも、風に吹き飛ばされた砂がぴしぴし顔に当たることも、口に入って不快な思いをする事も無いでしょう?』

 気が向いたら砂漠にだって何か生えるかもしれないし。誰の言うことも構う事はないんだし。

「何も育たなくても、誰が困る訳でもないなら構わないじゃない。雨だって必要な時にだけ求められても詰まらないでしょう? 降りたい時に降ればいいんだわ」

 あっけにとられた。酷く間抜けな顔をしたであろうコンラートに、首をかしげてスザナ・ジュリアは微笑んだ。自由な言葉を思うままに咲かせる事の出来る彼女はきっとその身軽さで、望むならば水の上でも空気の上でも、軽々と歩けたに違いない。何処かに今居るというのならば確かに空で、全てを見下ろしているのだろう。全てを見通す事の出来る聡明さで、瞳を通さずとも容易く世界を。

 彼女に言われてからもコンラートの砂漠は依然として砂漠のままだったが、砂漠の夢を見る度に降る気配も無い雨の事を考えた。気まぐれに降るかもしれない雨を思えば、何処か遠くで微かに水の匂いがした。夢の砂漠に雨雲が浮かぶ事こそ無かったが、そこに立つ度に感じた空しさは意識からは久しく遠のいた。礼を言えばまたくすくすと笑い、

「何か生えたら教えてね」

そんな約束をした。

 笑う君がいなくなって、ここはずっと乾いた砂漠のままだったよ。でもこの風景を見ても、今は前よりずっと静かな気持ちになれる。



 聞き覚えのある足音が背後からして、コンラートは身を強張らせた。自分以外がここに居たことなど無い――そうして。
 近付く足音が横に並んで、間違えようのない声がした。

「ひっろいなあ!」

 伸びやかに両手を振り上げ感嘆を漏らす。ただそれだけの事でも感じられる体から発せられる喜びの波動。

「とりあえず、芝生植えていい? とびっきりの場所を見つけて、俺たちが空間を有効活用するっていったらあれだろう! ボールパーク!」

「芝生も植えて、あーそうか! 木! ボールの生る木を植えよう」

 涙が出そうだ。

「あるんですか? そんなの」

「だからあ! 夢ならなんでもできるだろ?」

 言ってからちらりとコンラートをうかがう仕草で、

「ゴメン、人の夢の中で勝手な事言って……」

 いいえ

「いいえ、嬉しいです」

 隣を見ないまま発する応えは、声は震えたろうか。
 降る雨とは比喩か――己の内から生じ、止め処なくこぼれ落ちる物こそがそれに代わるものだったのだろうか。問うべき相手はもう居ない。記憶の中で彼女はただ静かに笑うだけだ。

「ほんと? じゃあさ、あっち! あの辺に木を植えてさ、そんでその木にボールがごっそり生ります! そんでもって、あの辺には」

 少し離れた場所を指差して、胸を張る。

「バットが生えます!」

「生えるんですね? 凄いな」

 くすくすと喉の奥から零れる。

「熟した木の実みたいにボールが落ちてくるのはまあ、いいとして、バットが落ちてきたら痛そうだからな」

 うんうん、と頷くユーリ。

「あとはーグラブはやっぱ生るのかなあ……かぼちゃみたいなのがいいのか? 蔓で。じゃあこのへんにグラブ畑ね」

 いつの間にか手にしていた木切れでユーリは、砂にざくざくと線を引く。

「沢山生るようならこうしましょう。遠征に来たチームには、使った道具一式をプレゼントします」

「おお、オーナー太っ腹!!」

 はしゃいで飛びつく体を胸に抱きこんで手を回す。

「俺がオーナー?」

「そ、あんたがオーナー! オーナーでピッチャー!」

「じゃあユーリが捕手になってください」

「いいの? やるよやる!!」

 腹にしがみついて名づけ親に笑いかけたユーリが、顔をあげたままふと呟いた。

「そうか、ちょっとどんなんか見てみたいなー」

「ユーリ?」

「いや壮観だろうからさ〜、野球の豊作畑」

 あ、と思いついたように。

「そっかー夢だったよな! じゃあいいよな?」

「ユーリ……?」

「全部一斉に収穫できます!」

 未来図を落書きした大地に向き直りながらユーリが手を振れば、一瞬であらゆる要素の祝福を受けたように周囲が輝いた。眩んだ目に飛び込んでくる緑、緑、緑の海。畑に芽生える新芽と何も無い場所から伸び行く樹木は見る間に背を伸ばして葉を茂らせる。

「えーと、水はー…」

 腰に手をあててぐるりと周囲を見回して、思いついたようににこりと笑い、

「じゃあ雨よろしくお願いします……!!」

 天に向かって大声で叫んだ。

 ポツポツと落ちてきた水滴が顔にあたる。そのまま暖かい雨が地上に降り注いだ。祝福を待ち受ける緑と、歓声をあげる者と、立ちつくす者と、乾いた大地へ、区別なく。葉をさざめかす雨が音楽となって耳に届いた。木の枝で蕾をつけた花が咲き、実りと化して大地に落ちる。雨音に混じって次々と落ちるボールの音が音楽となった。垂直に伸びた緑の茎が見る間に枯れて中からバットが現れる。地を這うツタには大小のグラブが実った。砂に染みこまずに集まった雨は川となり低地にそって流れ始めた。水の流れを追う様に、乾いた大地から新芽が芽生え始める。瞬く間に世界は緑の絨毯に覆われた。



 目元を濡らしながらコンラートは瞼を開けた。夢の続きの様な雨音が窓の外から聞こえてきた。薄く明け始める筈の空は穏やかに曇っていた。ささやくような柔らかさで雨が梢を揺らし、世界は祝福に満ちていた。







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次男とジュリアと夢の砂漠
(20100526)

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