海の七月

 うつくしい日々

連日の執務で、いい加減室内に閉じこもるのは限界だった。能率を考えない詰め込みをしすぎなのだと、自分にばかり甘い護衛の提案に飛びついて、そうして逃げ出してきたのだ執務室から。久しく実戦から離れていた乗馬の腕では追いつかれる可能性が高いので、せっかくの機会に残念だが愛馬は置いてきた。たまには思い切り走らせてやらないとアオ自身も体がなまるだろうと済まなく思う。あとはアレだ、あまりに機会を無くしてばかりだと、アオがユーリ自身の顔を忘れてしまうのではないかと、ほんの少しだけだが危惧もしている。

 春の陽射しは湯船に身を沈めたような暖かさで体を癒してくれる。書類との格闘で生じた痺れるような頭の痛みが消えたのに気付いて、ユーリはようやくほっと溜息をついた。柔らかな風が木々の梢をざわめかせ、道の傍らで花を軽く揺らした。澄んだ空に時折遠くで鳴き交わす鳥の声が響き渡り、綺麗な声だなとぼんやりと思う。普通の鳥の声を聞くとひどく落ち着く気がする――尤もこの国の鳥はエンギワルーだけではないのだから当然なのだが。

 ユーリは護衛の背に捕まりながら残してきた仕事に思いを馳せた。置き去りにして来たのは山積みの書類と怒れる男――ちなみに必然的に泣き喚く男も置いて来たのだが、戻った時点で確実に彼は更に泣くのだろう。逃亡のうしろめたさに胃の底を重くしながら護衛の背に顔を寄せれば陽を含んだ布の暖かな匂いがした。じんわりと熱の伝わるマントの背に額を押し付けながら、ユーリはまた小さく溜息を付いた。先ほどの溜息とは違う気配に護衛は少し困った様子で、己の腹に廻された主の手をあやすように軽く叩く。

  途中から早足にさせた馬で到着した先は湖面を見下ろす丘の上だった。
  水の匂いを含んだ少し冷たい風が吹き抜けて、ユーリは心地よさにぶるりと震わせた。視界に広がる湖の青と森の緑、空を流れる雲の白さ。馬から降りてしばらく空を見上げたあと、体全部で澄んだ空気を吸い込むように大きな深呼吸をしてユーリは草の上に腰を降ろした。戻れば始まる説教の事はひとまず忘れよう。そう決めたら少しだけ気が楽になる。現金な自分が可笑しくて軽い笑い声を立てれば、そっと様子を伺っていた護衛も目を細め、口元を綻ばせた。連れ出してくれた事だって、他の誰もしてくれない事なのに。自分の一挙一動をそんなに心配そうに見つめることなんかないのに。そう言っても絶対に譲らないだろう護衛にユーリはあえて何も言わない。ただにっこりと笑う。それだけでいい。そうして。
 
 影を作ろうと立ったままで居た護衛を、強引に袖を引いて直ぐ横の草の上に座らせた。指でつついて、きょとんとする護衛の足を前に真っ直ぐに伸ばさせて、その長い足に頭を預けてごろりと寝転がる。驚いたように目を見張り、一瞬の後に微笑む彼の顔は見ないでも判った。自分から膝枕を強請るような事は普段はしない。べたべたに甘やかされたい自分を己で暴露するのが恥ずかしいからだ。鍛え上げられた腿は枕にするには硬いが、護衛の気配を直に感じられるのが本当は少し気に入っている。自分が好き放題で護衛を見上げられるのは良いが、腑抜けた顔を覗き込まれるのは気恥ずかしい。恥ずかしさを誤魔化すように腿にぐりぐりと頭を押し付ければ、微笑みの気配と共に大きな手でそっと頭を撫でられた。乱れた髪を梳きながら耳にかけてくれる指の微かに触れる気配がうっとりするほど気持ちが良い。うっすらと頬を赤らめながら目を閉じて、ユーリはゆっくりと息を吐いた。

 ああ、くつろぐな――。

 野球の試合でくたくたになった体が風呂でほぐされた時のような心地よい脱力。ゆったりとした眠りの波に身をゆだねたまま、意識しないつぶやきが口から漏れた。

「こんな世界をひとりじめかぁー」

 頭の上でくすくすと護衛が笑った。

「俺もいますが。まあ貴方の護衛ですから、ノーカウントと言うことで」

「何言ってんだよー……俺の贅沢の話じゃん?」

 空は高く澄んで日差しは強すぎず柔らかに、遠くで鳥が鳴く声がして、時折湖をわたる風が木立を揺らす。さわさわと。そこに自分と彼だけ。ただふたりだけ。

「贅沢?」

  眠りの淵をたゆたい始めた主の言は、今日の護衛には少し分かり辛い。怪訝そうに聞き返せば、瞳で星も瞬く。

「だからあ――……こんな綺麗な風景も……独り占めだし」

 ……あんたの事も――俺だけで独り占めだし。

 俺ってなんて贅沢者……って話だ…よ…――。

 眠りに追いつかれて、最後の呟きは口の中で消えた。
 うたたねを始めたユーリは微かに染まった恋人の頬にも気付かない。

 湖も森も空も雲も綺麗で。世界で一番美しい黒を膝に抱いて、今はひとり己がその眠りを守る。美しい世界。

「そっくりそのまま俺の言葉だよユーリ」

 贅沢なんて言葉では足りなくて。

「あなたを独り占めしても、それでも俺は謝らない」

 あなたが泣くから。謝ったりしたらあなたが傷つくから。

「ありがとうと言わせてください、ユーリ」

「……うん、俺もありがとうって、言う」

 眠っているはずの恋人から、はっきりとした答えが返っても護衛は驚かない。真っ赤に染まった耳にも今は気付かないふりをして、春の陽だまりの中、恋人の柔らかな頬に護衛は軽く口付けた。






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ぼんやりいちゃいちゃしてるだけ…
多分何か発展させようと思って年末から放置しておいたのですが
どうにもならないのでそのままうp(´∀`)
似たような話を書いている気もしますが気にシナイ!


あと歌の歌詞は若い人は判らないでしょう…と言うか
自分もそこしか知らないんですが…!
きょじんをかたせてくださいな、と続きます(笑)

(20100405)

http://sos.main.jp/see7/index.html
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