海の七月

 

 空に還る日

その時が来たら、何処に帰るんだろうと思った。

昼下がりのテラスでは、眞王廟から遊びに来ていた大賢者と、珍しくも早めに勤めから解放された魔王とがそれぞれの護衛の給仕の元、アフタヌーンティーを楽しんでいる。お茶に添えられたお庭番の手による焼き菓子は、作り手の見てくれに脅かされる事など無くたいそう美味であったので、この国でもっとも高貴とされる双黒の者達は実に楽しげだった。絶賛されたお庭番は恥らう仕草で両手のひらで頬を隠して、ピンクのエプロンドレスをことさら派手に揺らめかせる。慣れない者が見れば10人が10人顔を強張らせる不気味さに満ちているが、最愛の主は動じもせず愛らしい笑みを向けるばかりだ。

アレには慣れては欲しくはなかったのだが既に慣れてしまったものはどうしようもない。内心で舌打ちした護衛は嫌そうな目をお庭番に向けたが、お庭番はしれっと気付かないふりをした。何故ならば呆れたふりの護衛がお庭番向けた視線には、護衛の最愛の主が他人に関心を向けてほんの少しだけ微笑んだ、ただそれだけの事に対する、護衛自身が気付いていない密かな嫉妬が混じっているからだ。幼馴染の元上官で、国内中にその名を知らしめた英雄でもある筈の男は、既にその残骸でしかないのかもしれない。目の前にはまったくもっておとなげない恋する男が居るばかりだ。お庭番は口の端を上げる皮肉な笑いを浮べたが、少しだけ考えてからまだ不機嫌そうな幼馴染をちらと見やって静かに笑った。おとなげなくてもやに下がっていても、ふいに姿を消して二度と戻らなくなるような気配を纏った、何時かの、密かに恐れた蒼ざめた瞳よりはずっと良いなと思ったので。

香りを楽しむようにカップを揺らしていた大賢者が、友人のふと漏らした言葉を聞きとがめて眉をひそめる。

「どこって……帰るって、何が? 渋谷」

「や、だってさ――……魔王って、普通は死ぬまでやるお仕事じゃあないんだろう? だったらいつか眞王から言賜巫女経由でお告げが来るとして、それが何時になるのか、在位期間が他の魔王と比べて長いのか短いのか、その時が来るまで俺には全然判らないんだろ?」

密かに彼は悩んだのだと言う。元々こちらの住人ならともかく――こちらに親兄弟親類縁者が居るのならともかく。たとえばプロ野球の選手なら一線を退く場合なら一般的にはコレくらいの年齢が目安だとか、長く続ける者もあるが、逆に球団の事情やら何やらでもっと早くにその勧告が来る者もいる、年齢的な上限もあるが、個人としての限界は様々である――そんな風にある程度の目安は付くが、全く見当の付かない――自由業である――『 魔王 』の戦力外通知は、果たして何時になるのだろうかと。その線引きは誰がするのだろうか、眞王だろうか、眞王に無能と判断されたならば、うんと早く肩たたきが来たりするのか、それすらも不明なままで。(ところでそのぷろ・やきゅうーと言うのが何なのかグリエには判りません――陛下)

「お前もういらないから何なら地球帰っていいよー、むしろ帰れ! とか言われたら、ほら、いくら俺が能天気だったとしても困るなって思って――」

すっげーぐるぐる考えちゃったよ、と、上の空なのか作法の一切を忘れたように、音を立ててすすったカップを両手で口の前で支えたまま、ユーリは記憶を辿るように空を見上げた。風に流されて形を変える雲を見ながら、少しさみしくて、少し怖いな。そうだ、そんな風に思ったのだ。いい加減年月も経ってからそんな風に言われてしまったら、自分一人ではどうすればいいのかわからない。雲ならば薄く流れて空の青に溶けてしまえばいいのだけれど。

「俺、他に何も出来ない状況で、中年とかじーさんとかになっててさ――無職で地球帰ったらどーすんだろうって。……あ、それ以前に若いみそらでクビにならないとも限らないとも思ったんだけどもさ! 一応そん時はもちょっと年行ってからの想像になったわけ! ――その頃は戸籍とかどうなってんだろなぁ……。こっちベースで成長してたら浦島太郎だろうし、そしたらそもそもあっちで暮らせないけどさあ……。虫のいい話だけど勝利が元気だったら、仕方ないちょっと頼らしてもらうしかないのかなとか、それとも終わる時って多少なりとも退職金とかくれんのかな? 知らないけど。はいサヨウナラ〜よりはマシ――……」

「俺に」

硬直したまま笑みを強張らせていた護衛は、我に返るなり主の言葉を不敬にも遮ったが、主の癖であるどこかの国の大行進の中断の為なら、それはまったくもって正しい行為だ。更に言えば退位した王に対して国家はそこまで不遜ではありません、そんな心配は無用ですとでも言い切ればそれで済む場面であるにも関わらず、他の選択肢など不要とばかりに己の主張を前面に出して強く、短く、言い切った。

「俺に任せてください。何とでもします」

「うん、あんた居てくれたら、どうにか頼らせてくれたと思うんだけどさ」

確かにこの男は何でもするだろう。手でも胸でも命でも、そうやって生贄のごとくに身を切り刻まれて捧げられるのは正直言って苦痛なのだが、本人を丸ごと全部ならばユーリに否やはない。……ちなみに切り売りでない丸ごとの護衛は主に既に献上されている。当然その逆も然りで、ようするにこっそりと仲良く上手くいっているのだ。――……尤も判るものにはバレバレ程度のこっそり、でしかないのだが。
はにかんだように笑ってユーリは言った。

「丁度、あんた居なかった時だから、ちょっと色々考えちゃってさ。信用してない訳じゃないんだ。ゴメンな、コンラッド」

無邪気な主から爆弾が落とされた。三者が三様に凍りついた空気の中、今度こそ目を見開いたまま固まったままの護衛の横で、ぶつぶつとユーリはつぶやきを続けた。
 ……ゴメンあんた居ない時にふっと考え付いて、あんたの事よりもそんな事を考えて凹んでた。あんたが遠くで頑張ってるってのにな……駄目だな俺。あの時は皆にも随分心配かけちゃったけど……。

突然荒っぽく立ち上がった友人に、ユーリは目をしばたたかせた。

「村田?」

小首をかしげて問うても、すさまじい不機嫌の表情を隠しもしない友人は応えない。ガタンと音を立てて椅子から離れ、つかつかと音を立てて。

「え、どしたー? 村田、そんな怖い顔してどこ行くのお前……あ、ちょっと待て! グリエちゃん止めて止めて! ちょっとおい!村田! どこ行くんだよもうおーい !!!」


*************



扉を叩きつけるようにしてこの部屋を訪れるのは、かの赤い悪魔か急を知らせをもたらす伝令位のものだ。前者を想像して一瞬びくりと体を揺らせた王佐と宰相は、視線向けた先で見た、扉の前で仁王立ちになる大賢者の姿に別の意味で驚いた。常日頃は嫌味になる程の冷静さを保つこの国の叡智の具現は、感情を隠そうともしないまま肩をいからせて王佐と宰相をねめつけている。微かに動揺する己を叱責しつつも、問いを発する事ができたのは流石に宰相が先だった。

「どうされたのか? 猊下」

「どうかされたって? どうかしておいて欲しかったんだけれどもね! 寧ろ!」

鼻で笑うように切り返されるが、そこまで憤慨される理由が年長者たちにはさっぱり判らない。判らないまま書類を持って固まった姿のまま、二人は大賢者の怒りの声を聞いた。

「いくらぼやーっとしているからって王を放っておくってのは何なんだ? きちんと説明して、相談にのっててくれなきゃ困るね!! どうせ渋谷は自分が貰うくらいなら他人に全部あげてくれと言うに決まっているけれど、それにしたって最低限のものくらいは自由になることの、説明くらいはしてくれたっていいだろう?!」

「猊下、一体……」

「申し訳御座いませんが、猊下、それは一体何のお話でしょうか。最近の案件か何かでございますか?」

老後の心配してたよ彼。いや正確にはしていた、かな?

大賢者の爆弾が炸裂。
執務室の年長者も凍りついた。

お庭番が大賢者に追いついた時には、執務室では既に大賢者によるこの国の中枢への説教が始まっていた。多分これは収まらない。こそりと扉の隙間から中をうかがって、お庭番は溜息をついた。直属の上司にも王佐にも何とも気の毒だが始めから自分には抑えようが無かった惨劇だ。本来ならば取り残してきた王にとりなしてもらうのが最善なのだが、今回ばかりは議題がその王の心情を汲まなかった事、であるので王の仲介は意味を成さない。例え王が「俺が言わなかったからって話だよ! グウェンもギュンターも悪くないよ! 王を軽んじてるとか、そんなのないって!そんな怒らなくても村田……!」などと泡を喰って割って入ったとしても。庇うように年長者の前に立ちふさがって、反論する姿さえ目に浮かぶのだが、それでも同じだ。

どうしたものかなあ、といまいちど溜息を付きながら壁に寄りかかってお庭番は窓の外を眺めた。
雲の様に青空に溶けて、なんて。誰もひとりも望まない別れの方法だ。居なくなったらどんなに嘆かれるか知らない、己が太陽と同じくらい大切に思われていると知らない、あの方も未だに

「己の価値には無頓着だからねぇ……」

きっと残してきたテラスで、同じように己の価値に無頓着な男が必死で彼の価値を彼に語るだろう。だからきっとこれでいい。例え今が

「……すごい説教が長引きそうでも……――ね」

背中に怒声を聞きながら、くすりと笑ってお庭番はつぶやいた。

――あんなヤツですがどうぞよろしくお願いします。陛下。






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なんかグリエちゃんの話になった。魔王業については適当な解釈で;
(20090829)

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